1218年 政子は夫、頼朝の供養のために弟の北条時房を従え、念願の熊野詣を行い、帰りに目障りな貞暁の住む高野山へと向かいました 将軍職に就く事のできる唯一の源氏嫡流となる貞暁の意思の確認が目的でした。 高野山は女人禁制。 日本三大悪女 と呼ばれる歴史上の人物は、 日野富子 と 淀殿 と 北条政子 の3人がよく挙げられる。 北条政子 は鎌倉幕府の実権を握り「 尼将軍 」と呼ばれた。 自分のおなかを傷めた2人の息子を死へと追いやるような非情さを持つ。 夫は流人の身から征夷大将軍となった 源頼朝 であり、父と弟は執権として鎌倉幕府の最高権力者になる。 激動の時代を生きた北条北条政子 (1157年から1225年) 源頼朝の妻で、北条時政の娘である。 源頼朝の死後 出家して尼となり、父や弟の北条義時とともに政治を行い、尼将軍ともよばれた。 源頼朝が伊豆に流されていたときに妻になり、頼朝の死後は、子の2代将軍 源頼家の後見
静御前と鈴ケ神社